琉球古武術城之手 琉煌會

空手を学ぶということ

 

『空手を学ぶ』という事は、「歴史を学ぶ」事と同じだと思います。

 

 これは『空手』に限らず、他武道であっても同じことを言われるかと思います。武術・武道はその発祥・発展の背景に『歴史』があり、発展し今に至っているからです。

 

 『沖縄空手』の場合、その歴史的背景には独特のものがあります。

 

 その独特な背景とは、空手の理念である『絶対平和』と関係があります。

 

 沖縄空手は、文字通り沖縄で発展してきた武術であり、その歴史や文化の中で培われてきました。

 

 沖縄に、「首里城」というお城が復元され今でも残っていますが、このお城の門に掲げてある言葉に『守礼之邦』と書かれています。

 

 首里城は、正面から入ると、まずこの門をくぐることになります。

 

 その昔、『琉球』の時代、他国との貿易が盛んに行われていました。その他国に向け、「私たち琉球国は、礼を以てあなた方を迎えます。」という理念を表しているのです。

 

 「争わない」、「絶対平和」という理念です。

 

 この沖縄の理念は、図らずも空手にも反映されてきました。

 

 精神的な理念にとどまらず、空手の技法、技術にも反映されているものです。

 

 空手にも「戦わずして勝つ」とか「打たせずして打つ」または「人に打たれず人打たず。事なきを元とする也」という概念、理念がありますが、これらの言葉からも分かるように、沖縄の歴史や文化が沖縄空手の概念、理念になっています。

 

 この言葉の意味を真に理解し、実行するならば、その人の空手は武術となり、また武道へと昇華していくのだと思います。

”型”とは

 

沖縄空手には、素晴らしい文化遺産とも言える「型」があります。

 

 今更、殊に「型」の説明をしても余り意味を成さないかもしれませんが、分からない方や空手について初めて触れる方々も居られるかも知れませんので、少し説明をしますと、「型」とは突きや受け、蹴りなどあらゆる技が組み込まれており、これを単独で練磨することで心身を開発するものです。

 

 しかし、単独では、その技が使えるかどうかの検証確認が出来ませんので、「型」の技や動きを、相手に掛かって来させたり突かせたりして技の完成度を高めて行きます。

 

 この様に、単独で行ったり、型に含まれる技を抜き出したりして、その技に相手を付けて行う(分解組手)ことで、技は上達して行き、更には、力を使わず、体格や年齢・性別に関係ない技を身につけていくことが出来ます。

 

 「型」とは、技や技術などの基本であり極意の集大成でもあります。

 

 「型」については、昨今、使えるのかどうかの論議がありますが、これは、個人の実力如何も問われる論議だと思います。

 

 個人の実力で述べるのであれば、『は使えるし、使えない。』この二つの答えがあることになります。

 

 真に空手を修行し、修得するものであれば、「型」は『使える』物でなければなりません。

 

 また、相対的な稽古、空手から『絶対的』な稽古、空手に移行しなければ「型」の真なるところが分からないと思います。

 

 「型」を打つ(稽古する)ことは、絶対的な境地を目指すことです。

 

 「型」というのは、空手に必要な技術を修得し、練り上げるために存在しているのです。

 

 しかし、単に「型」を一生懸命稽古していっても技術は身に付くことはありません。技術を身につけるために必要な要素があってこそ、初めて技術が見えてくるのです。

 

 その要素とは、正しい「呼吸」、正しい「姿勢」、正しい「動き」のことです。そして、「無駄な力を抜く」ことです。

 

 これが相まって初めて、技術を身につけるに必要な要素を満たすことになります。

”分解組手”とは

「分解組手」とは、型に含まれる技を抜き出して、相手を通して稽古するものです。

 

 型は一人で技を練磨しますが、分解組手は相手がつきます。

 

 型を練磨するだけでは真に使える技は作り上げられません。この時点では、まだ真の「絶対的」な技や境地ではないのです。

 

 分解組手という「相対的」な稽古を通して、絶対的な技や境地を目指していくことで真の「絶対」が得られます。

 

 「絶対的」な境地とは何か?

 

 独り善がりの技や境地ではなく、相手や物に左右される「従」ではなく、それらに協調、調和しながらも自分が「主導権」を握り、自分の思い通りに動くことの出来る境地です。

 

 分解組手は、「相手がこう来たら、こうしよう。」とか相手を基準に自分の技や考えを決定しようとしますが、これは「相対的(従)」です。

 

 相対的な組手や技の内は、真の強さや技が身に付きません。

 

 相対的なうちは、相手が変われば自分の技が通じないという様な事になり、実際には使えない技のままです。これらは、小手先の技でしかありません。

 

 真の強さは「絶対的(主)」な中から生まれます。

 

 また、分解組手を通して培った「絶対的」な技や技術は、自分にも自信を与えてくれるものです。

 

 分解組手は、技を「使える」ようにしていき、「絶対的」な境地を目指していく稽古だといえます。



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